UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01 決勝(UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01 けっしょう、英語: UEFA Champions League 2000-01 Final)は、欧州サッカー連盟 (UEFA)により開催されるUEFAチャンピオンズリーグ 2000-01の決勝戦であり、9回目のUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦である (UEFAチャンピオンズカップ時代を含めると46回目)。試合は2001年5月23日にミラノのサン・シーロで開催された。試合は、ブンデスリーガに所属するFCバイエルン・ミュンヘンと、プリメーラ・ディビシオンに所属するバレンシアCFの間で行われた。
概要
試合は、ドイツのバイエルン・ミュンヘンとスペインのバレンシアの対戦となった。延長戦まで120分の戦いは1対1と決着がつかず、PK戦でバイエルンが5-4で勝利、4度目のタイトルを獲得した。バイエルンは四半世紀ぶりのタイトル獲得となり、バレンシアは2年連続の決勝戦での敗北となった。また、試合のすべての得点はPKで、バイエルンはPK失敗もしている。そして、勝敗の決着はPK戦となったため、この試合は「すべてPK」のUEFAチャンピオンズリーグ決勝となっている。 その他、この試合は前2シーズンの準優勝チーム同士の対戦であった。バイエルンは1999年にマンチェスター・ユナイテッドに、バレンシアは2000年にレアル・マドリードにいずれも敗れている。
PK戦で決着したのはヨーロッパカップ決勝戦としては6回目、チャンピオンズリーグ決勝としては2回目である。また、バイエルンの監督オットマー・ヒッツフェルトは1997年にはボルシア・ドルトムントでこのタイトルを獲得しており、エルンスト・ハッペル以来、2人目の「2つの異なるチームでヨーロッパカップを制した監督」となった。一方、バレンシアの監督エクトル・クーペルは3年連続で決勝戦での敗北となった。彼は1999年にマヨルカを率いてUEFAカップウィナーズカップ決勝で敗れた後、2000年にはバレンシアを率いてチャンピオンズリーグ決勝で敗れている。
出場チーム
注 : 決勝進出は1992年まではUEFAチャンピオンズカップ、1993年以降はUEFAチャンピオンズリーグ
決勝戦までの道のり
試合
概要
この決勝戦は、バイエルンのゴールキーパー、オリバー・カーンの大活躍で人々に記憶されている。
試合開始早々、ペナルティエリア内で倒れこんだパトリック・アンデションがハンドによりバレンシアにPKが与えられ、ガイスカ・メンディエタがPK成功、バレンシアが先制した。数分後、ジョスリン・アングロマがペナルティエリア内でシュテファン・エッフェンベルクにファウル犯し、バイエルン・ミュンヘンにPKが与えられたが、サンティアゴ・カニサレスがメーメット・ショルのシュートは足でセーブし、得点とはならなかった。後半早々、アメデオ・カルボーニがカルステン・ヤンカーとヘディングを争った際にハンドを犯し、バイエルンがPKを獲得、今回はシュテファン・エッフェンベルグがカニサレスの逆方向にPKを蹴って得点を決め、スコアは1-1の振り出しに戻った。残りの時間と延長戦30分間を通して得点は生まれず、試合はPK戦になった。
PK戦では、バイエルンの最初のキッカーパウロ・セルジオのシュートは枠を捉えず、バレンシアのメンディエタのシュートはオリバー・カーンの逆をついたため、バレンシアは早い段階でリードを得る。ハサン・サリハミジッチ、ジョン・カリュー、アレクサンダー・ツィックラーがPKを成功した後、カーンがズラトコ・ザホビッチのシュートをセーブし、それぞれ3人終了後に2対2で同点に追いく。次のパトリック・アンデションのシュートはカニザレスにセーブされ、アメデオ・カルボーニのシュートはカーンが手を伸ばしてクロスバーの上に弾く。その後、ルベン・バラハとシュテファン・エッフェンベルクは両者とも成功し、 PK戦はサドンデスへと入る。6人目のビセンテ・リザラズとキリ・ゴンサレスは2人ともPK成功し、バイエルン7人目のトーマス・リンケはPK成功するも、バレンシア7人目マウリシオ・ペジェグリーノのシュートは方向を読んだカーンがセーブ、バイエルン・ミュンヘンがカップを勝ち取った。カーンは、PK戦後に敗戦したバレンシアのGKカニサレスを慰めたことでUEFAフェアプレイ賞を受賞した。
詳細
データ
関連項目
- UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01
- 2001 UEFAスーパーカップ
脚注




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